2017.8.7.

「良心之全身二充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ」を建学の精神に掲げた新島襄が創立した「同志社」の「良心学研究センター」が、良心学の入門書として発刊したもの。

巻頭でセンター長の小原氏が問題を提起する。
いわく「現代社会の問題について、一人の人間が良心を痛めたところで、事態を改善するためにできることなど何もないと考えるかもしれない。しかし、一人ひとりの良心をつなぎ合わせ、それぞれの場で実践することができれば、世界の「見え方」は変わってくるのではないか。価値ある多元化の中で、対立が激化し、敵・味方の二元論が勢いを増す時代において、また、痛ましい出来事や地球規模の危機的状況があっても、無関心という応答をしがちな時代において、良心の働きを人類学的な課題を担った営為として再興することは」意味のあることではないだろうか。」

この問題提起の元で、良心の原義「共に知る」から、3つの面から考察が行われる。
1.内なる他者(自己)と共に知る・・・個人的良心
2.外部の他者(第三者)と共に知る・・・社会的良心
3.神(超越的他者)と共に知る・・・信仰的良心

いくつかの心に残った考察をメモしておきます。

  • 「9.11」以降、良心の自由をリスク要因と見なす風潮の下で良心の自由を侵す立法や行政が推進され、思想・良心の形成過程である教育課程への国家の介入が進んだ。
  • 周囲に気づかれない深刻な差別や、排除があったとして、これをある人が知り、本人の中でそれが内面化され、社会問題への自覚が生じる過程がある。これが「良心」の作用である。
  • 「Fairplay,Friendship,Fighting Spirit」がスポーツの場と、その場を離れたところにおいて実践されるべき理念である。
  • 科学者は、職務を遂行する過程で法令や慣習を遵守することが求められる。これらに加え、科学者は自らの研究成果が人々に重大な被害をもたらす可能性を予見した場合、必要な報告や対処を行う義務や責任を負うべきである。
  • 医師自身がそんなに優れた倫理観を持っていようとも、極めて過酷な環境に置かれていれば、常に患者の側に立ち、最善の医療を選択し実行することは、決して容易ではないであろう。
  • マインドフルネスの訓練によって、自分の思考や感情に対して「気づく」ことができるようになっても、具体的な問題解決につながる行動が生じなければ、その効果は一時的なものとなる。
  • マインドフルネスを補う方法として「アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)がある。」
  • ACTとは「アクセプタンス」・「脱フュージョン」・「今、この瞬間との接触」・「文脈としての自己」・「価値」・「コミットされた行為」を継続的に行うことである。