フランスの脱成長運動の指導者の最新著書。
 
経済成長を基盤とした、この社会について、考えて見ようと思い手にした。
脱成長を「経済成長社会から抜け出す」という否定の側面からだけでなく、「節度ある豊かさ」という創造すべきプラスの側面からも定義している。マイナス成長を目指すことではなく、生活の質、水や空気の質、そして経済成長のための経済成長が破壊してきた多くのモノの質を向上させることを望むのが、脱成長を唱える人達である。
 
「経済成長社会は三つの理由から維持不可能で阿ある。1.不平等と不正義の拡大を生じさせる。2.偽りの豊かさを生み出す。3.富裕層自身にとっても共生的な生活環境を作ることなく、むしろ全ての人にとってある種の「反社会」状況あるいは富の病的な分離を構築する。」
ピケティは、これと同様のことを指摘して、富の再分配が必要だと述べたけれど、ラトゥーシュは、人類の社会についてのパラダイムを変える必要があると言っている。
 
「経済的価値が中心的な(あるいは唯一の)価値ではなくなった社会、即ち経済が人間の生活の単なる手段として位置づけられ、究極の目的ではなくなる社会、常に多くの消費へと向かうこの狂った道を手放す社会を欲しなければならない。」
若者達の中で、これまでの仕事を離れ、第一次産業に向かう人達、自然との共生やある程度の自給自足を目指す人達が、私の周囲にたくさんいます。この人達は、この道を行くことを志向しているのかもしれません。
 
「賢明な破局主義が必要。我々が未来、特に破局的な未来に対しての十分な現実感を与えられることが必要。我々を救済するチャンスが開くのは、我々を脅かすものである。」
 
東日本大震災のような未曾有の災害を目の当たりにして、日本人の多くが破局的な未来を見たと思います。その後、日本人は成長よりも心の豊かさを望むようになってきています。
この動きが正しく成長して広がることを期待します。