2020年読了3冊目。
昨年末に話題になったユヴァル・ノア・ハラリの本。
前作の「ホモ・デウス」はいささかSFに近かったのに比べて、この本では現在の課題を思索して未来に向けて、どのような点が焦点となるのかを明らかにしていて、リアルに響く。
21の思考の内、特に興味を引かれたのが「ナショナリズム」「世俗主義」そして「意味」の3章。
「ナショナリズム」では、ナショナリズムなしでは、部族社会特有の混乱状態の中で暮らす羽目になる可能性が高い。とナショナリズムを必要なこととした上で、問題は有益な愛国心が狂信的排外主義のウルトラ・ナショナリズムに変容したときに始まる。として問題を提起している。ヨーロッパの移民に対する排斥運動、トランプの排他主義、日本と韓国の軋轢など、考えさせられた。
「世俗主義」ではその問題を以下のように切っている。
世俗主義はおそらく、倫理的なハードルをあまりにも高く設定しすぎている。ほとんどの人は、これほど厳しい規定を守って暮らすことは到底できないし、大きな社会は真実と思いやりの無制限な探求に基づいて運営することはできない。

これはまるで、大邸宅に住んで多大な電力を消費して暮らしている人が環境保護を訴えている、とまで酷い茶番ではなくても、寒さが厳しければ暖房を入れたくなり、暑さが酷ければ冷房を入れたくなるのは、人間としてやむを得ないことなのは当たり前のことですよね、と思った次第。
「意味」では、仏教の唯識と重なる思索を展開している。
人は頭に浮かんでくる思考や欲望をしっかり自己と同一視している限り、自分を知ろうという努力をあまりしなくて済む。自分が何者かはもう完全に分かっていると思う。(これが無明)だが、「あれ、この考えは私ではないぞ。ただの生化学的な揺れに過ぎない!」といったん悟ると、自分が何者か、どんな存在か、見当さえ付かないことに気づく。これはどんな人間にとっても、これ以上ないほど胸躍る発見の旅の始まりとなる。(唯識の四分説の証自証分)
次の章が「瞑想」でヴィパッサダナー瞑想の経験を書いているので、この瞑想によって得られたものだと思う。
ハラリ特有の直喩・暗喩が多い文章なのだが、内容はいたってシンプルだった。