2019年22冊目。

難解、というより私の知識を超越した著者の知識の質と量に圧倒される。「私にはまだ到底理解できないレベル」の本。
偉大な人物の思想を研究するということは、この本を構成の通り、事実や情報についての考察を積み上げ、それを系統立てて整理して示すことなのだろう。そういう点ではこの本は秀作だと思う。

理解の浅い私であるので、いたって部分的ではあるが、膝を打った内容は数多い。

・「最後の大拙は、「華厳」を元にして、如来蔵哲学(大乗起信論)を起源とし、自身が「禅」として集約した「東洋思想」の諸相を、改めてひとつに統一しようとしていたのである。」

・「達摩大師の心無心は、慧能に至りて見性になった。そしてここで明確に禅思想上に一転機を画した。神会は「知の一字宗妙の門」と言って、慧能の見を知に換えた、また一見識たるを失わぬ。馬祖にいたりて用が唱えられた。馬祖の禅は大機大用の禅(日常生活そのものに悟りを見出す禅)となった。臨済は更に一転した。見と知と用を統合して人となした。」

などなど。安藤礼二氏と「大拙」についてダイアログ出来るようになる日は、遙か彼方の霞の中。

もうここでと思う心に駄目を出し 頭に汗して読み進んだり。 芳生。